こんにちは。

久賀塾の久保田です。


「ハリーポッター」にこんな呪文があります。

何か一つ、一番幸せだった思い出を、渾身の力で思いつめたときに、初めてその呪文が効く。

ーハリー・ポッターとアズカバンの囚人


この一文を読んでから、私の一番幸せだった瞬間について、たまに考えてみることがあります。

いくつも思い浮かぶものはありますが、その中で、「決して一番とは言えないけれど忘れられない思い出」について今日は書きたいと思います。


さて、突然ですが、私は小学校~中学校にかけて、大げさに言えば9年間、ずーっといじめられっ子でした。

それこそ「一番つらかった思い出」と言われると、いつもこの時期が真っ先に思い浮かぶくらいには大変な日々でした。


人を煽るようなことを無意識に言ってしまう子どもだったので、色んな理由があって、すごく嫌われていたんだと思います。

やれやれ。


高校でいじめっ子の大半と離れて、新しく友達がたくさんできました。

そして大学受験を無事に終え、地元を離れて東京にやってきました。


正直もう地元には帰りたくありませんでした。

いじめがどうと言うよりは、一度嫌われた相手とまた仲良くできる自信がなかったからです。


大学2年生の春。

私は20歳になりました。

石川県は冬、雪が多く積もります。

だから、成人の日である1月ではなく、4月にズラして成人式が行われます。


これ、本当に本当に行きたくなかった!

ただ地元に帰るだけなら、昔の同級生とはすれ違う程度ですが、成人式はもう完全に同窓会じゃないですか。

まだそんなこと言ってんの?もう過去のことじゃん、と思う気持ちもよく分かりますが、それでも私の中にはトゲのようなものが刺さったままで、その時もまだ膿んで痛かったのです。


それでも、そのトゲのせいで私のたった一度の成人式に出ないというのは、なんだか負けた気がして悔しかった。

成人式当日、私はとっても綺麗な振袖を着て、たくさんの笑顔に見送られて、会場に行きました。

桜が綺麗な日でした。


心配していたことなんか全然なくて、式はあっという間に終わりました。

さて問題は二次会です。

これこそ完全な同窓会です。


行ったるよ!と意気込んでいました。

もう昔の私じゃない、一番きれいな恰好で行って、話す人がいなくたって笑って楽しんでやるよ!とか思っていました。


2時間以上あった同窓会の記憶はほとんどありません。

数少ない友人と近況を報告しあって、それなりに楽しく過ごせたように思います。

ただ、二次会の間中、ずっと気を張っていました。

誰が見ているわけでもないのに、「私は幸せにやっている」「もうブスって呼ばせない」と気合を入れて振舞っていましたから。


正直、私のことを見て、悔しがってほしいなと思っていました。

私の方が幸せだと周りに見せつけたい気持ちでいっぱいでした。


でも、そんなの気にしてる人誰もいなかったんですよね。

思い描いていた少女漫画のような逆転劇なんかなくて、結局会場の中心になんか近づくこともできませんでした。

これでいいんだと自分に言い聞かせながら、ぬるいオレンジジュースを飲んでいました。


私は二次会に来たというだけで勝ちだったのだろうか、そもそもそんなことを気にしている時点で負けなんだろうか、勝敗なんてなかったんだろうか。

酒宴は拍子抜けするくらいあっさり終わりました。


そして、会場からぼーっとして出てきた瞬間のことが、今でも忘れられません。


当時の、いわゆる「カースト上位」の女子たちが塊で移動していく中、怖くて近づくこともできない「カースト上位」の男子たちがまだ入り口で話していました。

当然、私なんかは話すことはありませんから、彼らを眩しく思いながら通り過ぎようとしました。


「おい久保田!」

と声が飛びました。



「お前、綺麗になっとるなあ!」



涙が出るほど嬉しかった。

まだ同級生が残る場所で、酔って大声で私を褒めてくれたこと、それを茶化す人もいなかったこと。

バカみたいな虚栄心ですが、「みんな」のいる場所で、会場の中心だった人たちにそう言ってもらったことがどうしようもなく嬉しかった。


いつもよりキラキラにした化粧も、慣れないヒールも、何時間もかけて悩んだワンピースも、つけすぎた香水も、すべてが報われたような気がしました。


こんなことで報われるなんて、それこそ負けでしょうか。

それでも良いです。

負けでも良いくらい、嬉しかったんです。

これが私の、「決して一番とは言えないけれど忘れられない思い出」です。

ダッサいね、久保田。

でも、良かったね、久保田。